潰れた檸檬

自傷しなくても傷だらけ

あさ

今から書く2つの出来事は、23区某駅前でティッシュを配っていた時に起こった。それ前提で記事を読んでもらえれば幸いである。

 

割と綺麗めな母親と自転車に乗った少年が二人で歩いていた。会話の内容は分からないが、楽しそう。そして別れ際になった駅前で母親がその少年にハグや軽めのキスをした。働いてる目の前で普通にやるということは、日常的にやっていると思われる。脳内でその少年を自分に置き換えてみた。気持ち悪い。母親からそうされると思うと気持ち悪い。昔からされてないから気持ち悪く感じるのだろう。最近は違うが、与える人を問わず愛情や好意を受けることが辛い時があった。もし昔からああいうことをされていたら自分の人生もっと変わったんじゃないかな。愛ってなんだろう。それが分からないために幾多の人間関係を破滅に追い込んだ。また自ら切った。だから、その母親と少年の関係こそ真っ当なのだと世間に広がればそれ以上のいいことはないわけで。いいものを見られた。

 

────40分後────

 

ティッシュを配っていたらカップルが来た。自分の立ち位置上カップルの間に割り込む形になってしまった。2人が通り過ぎた後男の方が自分に対してこう言った。

 

「邪魔なんだよ。」

 

こっちは仕事中だからそんなことを聞こえるような声で言われたところでどうしようもない。そんな無意味なことをわざわざすることは、意図的に自分を傷つけたかったのだろう。23区とは言えども所詮そこはベッドタウン的地域だ。治安を踏まえるとクソ客がいるのも仕方ないよね。そう思いながら彼らがいないところで舌打ちした。別に言われた内容はどうでもいい。とりあえず、自分が誰も得しない彼の感情表現に無駄に付き合わされたということが哀れでしかない。彼らが高齢者ならネタにできたが若かったから面白くなくて余計にイラついてしまった。無駄な感情である。もうその場にいる人みんな浅ましい...

 

***

 

自分が前半のような育て方をされたら後半のような場面に出くわした時にどの感情を抱いていたかが想像できない。

 

最初に思いついたのは「気にしない」。確かにメンタルが健常であればそんな些細なことに気を取られない。だが心が純粋すぎて自分のような経験(この仕事をしていると幾度となくありますよ)をしたら泣くとか怒るとかの感情表情することだって有り得た。前半のような家庭で育った人々は恐らく少ない。だから我々は後半の場面で感情表現する人々を軽蔑してしまう癖があるだけで、別に異常でもなんでもない。

 

その朝は特別なものだった。たった2時間でいろいろ考えさせられた。さっきのカップルが通り過ぎた後今度は小学生達がたくさん出てきた。春休みだなら中学受験の塾の授業が朝からあるのだと経験の上で予想した。頑張ってね。君達はひょっとしたらティッシュ配りの人にならない!と思って目の前を通り過ぎてるかもしれないけど、意外と時給いいしそれに中受経験者の自分がまさにやってるから人生どうなるか分からんよ。春の朝はいつも以上に人も感情も交錯するものだ。