潰れた檸檬

自傷しなくても傷だらけ

バイ

母親の実家は田んぼを所有していた。だが農家ではない。自給農業であったため、そこで収穫されたものは実家のものとなる。だから収穫物は(言い方悪いけど)自動的に自宅に送られるシステムとなっていた。そのため米を買う文化が冒女家にはなかった。

 

だが、実家は東日本大震災で立ち入り禁止区域となってしまった。同時に、そのシステムは終焉を迎えた。それ以降意識的に米を買うようになった。

 

ほとんどの我々は生まれてからずっとおかしなことをしている。食べ物は我々の生活には欠かせないものだ。それなのに育てることもしていない。自分達の都合で農業に就けないにしても農地を買おうとすることすらしない。当たり前なのだが、生理的に必要なものだと分かっていながら自分達でしようとすらしないことに気づいた。

 

恐らく、いや自分も含まれるのだけど今の生活をしている以上第一次産業にほとんどの者が就けないのが現状だ。農業は農家に委託し、農家による農作物を買うために金を稼ぐ。それがほとんどだ。間違いではない。だからここまで見た方々は「金を稼ぐのだから仕方がないだろう」とお思いになるかもしれない。ただ農作物というのはあくまでも金の向こう側にある。金はあくまでも交換手段でしかない。仮にも今日食べる分の農作物が自宅に無料で届いていたら今日の分の労働はいらない。そんなことがないから我々は働いて金を貰う。

 

我々は金によって生かされてる。金の向こう側にあるものを買うために金を稼ぐ。その金がないと生きていけない。我々は金が欲しいんじゃなくて金の向こう側が欲しいんじゃないのか。数字や肩書きが昔以上に必要な今の時代こそ、この欲求を忘れてはならないと感じた。