潰れた檸檬

自傷しなくても傷だらけ

しょうにん しょうにん しょうにん

 先日、子ども縁日のイベントバイトをやった。

 

 小学生以下は無料で、内容は、輪投げと簡単なボール入れ。終わったら結果関係なしにお面をプレゼント。

 

 今回の目的は、お面に描かれているキャラクターの販促だ。無料ゲームを通じて、キャラクターに興味を持ってもらい、グッズ、ゲームへとユーザーを増やしていく。要は無料サンプリングですね。

 

 早速始まったのだが... 予想通りだった。高学年あたりの子はやりたがらない。無料だからやっていけばいいのに、やらないのだ。というか、やりたくないのだ。その意思表示がある限りは、別に強要はしないし、そうだと解釈する。

 

 当たり前だ。彼らにもプライドがある。恥ずかしいのだ。小さい子と一緒になってはしゃぐのが。大したことのない子ども騙しゲームに付き合わされて、スタッフから、"子ども"として扱われるのが嫌なんだろう。輪投げに至ってはそもそもの面白さが分からないってのもあるけど。

 

 こういう企画で小学生以下と銘打つのは、企画者側が小学生を「子ども」として見なしているからだ。それ以外ない。だから、1年生だろうが6年生だろうが、"ガキ"として扱う。でも実際アラサーから見ると高校生ぐらいまでみんな同じに見えてしまわないですか...?

 

 この内面と外見のギャップが残酷なのだ。理想と現実とでも言うのだろうか。私自身6年生(中学受験!)を振り返ってみても、やらないだろう。何故なら、「自分はもう大人だ」という謎の自意識があったから。

 

 この自意識はどうやったら満たされるのか?バイト中はヒマで退屈だったためそれを考えた。思えば、私が6年生の頃は、誰であろうとも私の話を真面目に聞いてほしかったから、話を真面目に聞かない人に対して「バカだ」と決めつけ距離を置いた。加えて中学受験の勉強していたから、「そこら辺のガキと一緒にすんな」というある種の選民思想があった。まあそれも、今思えば勉強しかできなかった(しかもその勉強も特段上ではなかった)コンプレックスの裏返しで、実際はプライドが高かっただけ。そして、そのプライドの高さと歪んだ自意識を満たしてくれるのが中学受験だったなと思う。少なくとも自分はそう。他は知らない。

 

 中学受験勉強をしている自分がカッコイイのだ。それをやってるだけで公立小の教科書は簡単でつまらないと一蹴できて、しかも金持ってる家庭しかできない特権で... 何より「ガキと見なされることから解放された気分」になる。要は、"大人扱いに近い承認"を得られる。だから励んだ。興味無い科目が出来なくて結果的に詰んだけど。

 

 自分の場合は極端に歪んでいるから例外としても、励んだ人の多くは多少なりともそういう意識があったんじゃないかと思っている。子ども縁日でやりたくないという意思表示も、大人と認めてもらいたいが故の言動だったかもしれない。中学受験ガチ勢はそういう所にそもそも来ないから、データは取れないが笑

 

 本題に戻ろう。高学年の子に限らず「ちょっと上に行きたい」という願望は、いつの年齢にだってある症状だと思う。ある種の支配欲かもしれない。うちの家庭の場合、父親がまあまあな職に就いていたため余計に「上層に行く」という意識が強かった。

 

 自分を含め、こういった願望を満たすイベントはあるのだろうか。東京だったから中学受験で済んだが、中学受験がない地域だと、どうやって彼らの自意識を満たすのだろうか。

 

 だから、だから憂鬱なのだ。小学校高学年は。中高生だと多少なりとも教員が耳を傾けてくれる。

 

 ***

 

 「やりたくない」と言った子どもに対して、怒った親がいた。せっかくスタッフ(我々)が声掛けてるんだから、やれよと。でも上記の記事を見たら考え方が多少なりとも変わるのではなかろうか。親の役割は、子のそういった些細な心情に向かい合うことだと思う。自分が反出生主義でかつ優生思想から解放され子どもを配下させた場合、ちゃんと話を聞いてあげられるような親になりたいなと思ったのでした。

 

〈余談〉

某中学受験塾で起きた犯罪って、子ども側が「大人として認められたい」という欲求があり、講師はそれを利用して犯罪をしたと思う部分がある。あんなことされたら拒絶するのが当たり前だと思う。後は恐怖で抵抗できないとか?