潰れた檸檬

自傷しなくても傷だらけ

セカンドリーム

 家に帰ると母親が泣いていた。理由を尋ねると「スポーツ選手Iが白血病になった」からだそうだ。要は、母親は他人のことで泣ける人間なのである。

 

 母親がその類の感受性を持っていたこと自体は別に不思議ではなかった。そもそも前からその傾向はあったからだ。例えば中学受験で第5志望に初めて合格した時は泣いたし、猫好きな彼女がテレビで(どんな猫であろうとも)猫の訃報を知ると涙する人間であった。だから、本来ならばブログに書くこともしなかった。

 

 しかし、この記事を書いたのはその後に母親が話した理由にあった。

 

「だって、あのIが、日本の未来を背負ったIが、よりによって天才のIが、なんで... 他の人じゃなくてIが...」

 

 ここで母親の性格を初めて把握したような気がしたのだ。母親は夢が見たいだけなのだ。単に面白い状況に身を置きたいのだ。母親は単に楽しいことが好きなだけな、体型に反して薄っぺらい人間である。

 

 そして我々きょうだいは、この母親の元で育った。父親は単身赴任であったため、影響を受けたのはどちらかと言えば母親の方である。

 

 Iに対する慈悲を何故未成年だった時の我々に向けなかったのか?という疑問が湧いた。しかし、今更成人した身でそんなのを求めたところでどうしようもないのである。よく私は感情的になると「なんで父親と中出しセックスしたんだ!」と母親に激を飛ばしたがあながち間違いではなかったのだ。何故なら、母親は親になる資格がなかったからだ。我々はそこまでの才能がなかったのは事実だ。だから母親は家事はやっても冷たい対応を取った。こちら側の教育機関における被害状況を報告したとしても無視した。むしろ教育機関に従うように促した。これは母親が学校に洗脳されたんだと思っていたが違った。単にその事案が楽しくなかっただけだ。

 

***

 

 子供に夢を持つ親は親になる資格がない。夢を持つ時点で行って欲しいライフコースが基盤にあることを示唆している。実際、大抵の親は子供が不幸にあってほしくない(不幸にあったら自分に返ってくるという合理的な考えも勿論含むだろうけど)と思う限りは幸せな人生を歩める確率は高い。しかし、子供の内面について考慮しているだろうか?これは親と子が一緒にいる時期の問題ではない。むしろ母親と一緒にいる時期は浪人も含めて非常に長かったが未だに私の性格というか傾向を掴めていない。むしろ、時期は短いが私の友人の方が把握している。つまり、親に向いているかどうかは素質で決まる。素質というか向かい合う態度だろうか。この辺りを認識できている親はどの程度いるだろうか。セカンドライフを送るのも、与えるのも、よく考えた方が良いのである。