潰れた檸檬

自傷しなくても傷だらけ

ピース

 マスコミはすごい。何故なら、必要性を煽る能力が高いからだ。だから数十年前の文献にも使われている"国際化社会"という言葉を用いた宣伝を、この2018年にもなって行うのだ。

 

 確かにマスコミは国際化、グローバル化(※この2つはそれぞれ違う意味だが今回便宜上国際化を多用する)を前置きした上で英語の必要性を煽り続けた。だから4技能テストなどの制度が導入される、と言った具合に最近は本当に英語スコアを必要とする場面が増加している。またそれに関連してよく用いられる言葉がある。それは、留学だ。 もちろん、正当な意味の留学ではない。

 

 母親はまさにマスコミの被害者であった。母親は息子娘にしきりに留学するように薦めてきた。しかし、専攻学問への固執がない私は留学ではなく観光になってしまうからという理由で拒否した。すると、母親は言った。「観光でいいんだよ。そんな深く考える必要が無い。」と。観光で留学...?

 

 観光と留学が混合する時もある。例えば私は中学生の時アメリカで2週間の短期ホームステイを行った。それで別に英語力が上達するとかそういうのは求められていなかった。単に日本以外の国の文化を知ることが目的なのだから。そしてもう1つ、宣伝材料という重要な役割としての機能がある。

 

 実際、ホームステイが出身校を受験する理由になりえた者は多かった。私自身は、当時どこの私立中も落ちまくってたから過去問が簡単だったという理由で受けさせられただけだったのだ。当然そんなの知るわけもない。

 

 このように、海外という単語があるだけで目を眩ませる人は多いのが現状である。実質的な利益は加味されていない。もちろん全員が全員留学が観光になってるとは思わないしそんな事実はない。しかし、「とりあえず留学という単語を出しておけば良いだろう」という浅はかな思想が見られない訳でもないのだ。何故なら、日本でもできる英語の勉強をわざわざ海外に行ってまでやる者(それでも"留学")をよく見かけるからである。でもこの国にいたら英語を勉強するモチベーションは保てないからそういう意味では正解だと思われる。

 

 日本は平和な国だと思った。観光目的で留学なんてできる国はなかなかないのではなかろうか。そしてそれぐらいもっと気楽な考えができれば苦労はしなかっただろう。みんなが読んでるから読んだり、みんなが行ってるから行くぐらいの気楽さを、持ちたかった。