潰れた檸檬

自傷しなくても傷だらけ

なんとかならないと

 「どうなりたいんですか?」

 

 いやいやいや。困るわ。公私共に、訊かれて困る質問No.1かもしれない。そんなもんないよ。だって、何かになることよりも何をやりたいかを大事にしてきた人生だったんだもん。しかし、社会の構成員として生きる以上、これから逃れる訳にはいかないんですよね。なぜならそこにいる以上、何らかの役割を果たさなきゃいけないモンなので。

 

 こんなめちゃくちゃな僕ですが、これでも昔実はなりたいものがなかった訳ではないんです。最近だったら、草野マサムネとか、日本エレキテル連合とか、早慶出身のリア垢兼ツイッタラーとか、あの感じですね。どれも本気じゃないけど。まあとりあえず、今日は幼少期から今に向けて、「なりたい願望」と自分との関連性について、描いていこうかと思います。

 

1.中学入学まで 

 確か国家公務員になりたかった気がする。

 お笑い好きだし芸人にもなりたかったような。政治家とか、国家公務員への憧れがあった。父親が実際そのような仕事に就いているというのが大きい。

 父親はかっこよかった。父親の仕事で日本の治安が保たれている。また、自分の同級生の親は諸事情で父親のような仕事に就いた人が多かったため、「勉強してこの国を支えていくんだ」という意識があったかもしれない。あとは、僕は昔から話し方や振る舞いが笑われやすかったために、見返したいという気持ちもあったと思う。

 「公立中の空気を吸いたくない」という理由で中学受験をするも、興味無い分野へのモチベーションが保てずに第5志望に行く。

 

2.中学

 色々な経緯があって虐められてた。

 この虐めには自分にも原因がある。「滑り止めの方々ですよね?あなた達どうせバカなんでしょ?」という見方を教員や同期にしていた。そりゃあ嫌われるわな。でも口では言わないタイプだったため、自分がそういう扱いをされる理由がわからず、深く苦しんだ。

 小学校、中学入学直後位までは真面目にコツコツ勉強やってた気がする。この国を自分で変えてやるんだという意識が強かったものの、「どうせこんなバカ中学から良い大学は行けない」「勉強して私立入ったのに虐められるのは日本の教育が終わってるからだ」「そんな社会のために頑張ることになんの意味があるのか」という思考に段々変化していった。その結果、なりたい願望というのが消えていった。努力すること自体を放棄し始めた気がする。だが、当時は模試を受ければ上位層に組み込むぐらいの頭があったため「そのままでも何とかなるだろう」という余計な自意識が芽生えた。これが今の自分を形成している気がする。極端なネガティブと、尊大な自己意識と。

 段々、何かになりたい意識が消えていった。残ったのは、やりたい願望だった。学校や家庭に居場所がなかった(テスト勉強をしない体質だったため放任気味になったのが原因)ため、ネットで自分の居場所を知った。死にたい意識もゼロではなかったが、デパートメントHの存在を知ったり、あとやっぱりさ、18禁の扉を開く前に死ぬのは如何なもんかなというのがね。

 

3.高校

 なりたい願望は消えたものの、ハマっていることがあった。DSの「A列車で行こう」にドハマりし、都市計画がやりたいとまで思うようになった。ディベロッパーの社員になって、都市を計画したいなと。自分が考えた計画が、街の中に現れることにワクワクする。

 その後は社会学者になりたかった。社会学に詳しいというワケではないが、自分の意見を言える場所としては適切だろうと考えた結果だった(当時は高校生だ そこら辺の事情は察してくれ)。とにかく、自分の意見で社会を変えたい、という意識が強かった。

 ディベロッパーの社員から社会学者ってブレブレじゃねぇかと思うかもしれない。でも共通点がある。僕はひたすら「自分の意見をみんなに言い、それを後世に残したい」のだ。何故なら、自分の話を聞いて貰えなかった過去が多い(と感じている)からだ。トラブルが起きても、自分の話を適切な処理をされなかったり、親に自分の意見を言っても「疲れる」の一言で一蹴されたり。だからこそ、自分の意見を言って、相手や社会がそれで変化していく有り様を見てみたかったのだ。

 

 3.大学

 上記にように思ったのが原因で社会学専攻に進学した。社会学がそもそも好きだったし、社会学者になって意見を言ってやりたい!...と思ったのもつかの間だった。学者の仕事は持論を述べることではなく研究することだと理解し始めた結果、その選択は適切ではないことに気づいた。ただ大学自体はめちゃくちゃ楽しくて、暇さえあれば図書館で本読んだり、履修外の講義に潜ったりしてた。それだけで相当満足できる状態だった。

 なりたい願望が消えたが、自分の人生に影響を与えた出来事がある。「ぬいペニ事変」だ。

 これがめちゃくちゃバズった。これは別に意図したものではなく、寝ぼけながらツイートしたものだ。しかし、これが拡散すると日本中でこの議論が行われるようになった。寝ぼけて言ったツイートが、論争を呼び、雑誌に載り、学者が言及し、曲になり、番組で採り上げられ、遂には冒険処女を知らない人でも使いだすようになった。この経験は自分の人生を変えた。まさに、自分の理想だった。

 必死に考えて出したものではない分、自分のセンスに対して過剰に自信を持つ結果となった。自分の言語感覚はイケている、それが唯一の特技だ。自分は言語化スペシャリストだとまで思うようになった。たかだか1回で、しかもその後不発で、何も結果出せてないのにね。一発屋芸人かて。

 この経験を通じて、「自分のセンスを出して金稼ぐ人」になりたくなった。しかし、そんな職業ってなんですか?調べ続けたが見つからなかった。いや、あったかもしれないが、上手く取り込めなかったのかもしれない。

 

4.就活〜正社員(現在)

 「自分のセンスを出して金稼ぐ人」になるべく就活したものの、計量的結果に基づくエピソードではないこと、冒険処女を使った就活は正直しんどそうだったのもあり、結果的にはほとんど失敗した。たまたま何らかの学力テストに受かり、そこで働くことになった。当時は「自分のセンスを活かしたアプリを開発したい」と思い、Web系やIT系を受け、"理想とは程遠いが一応IT企業"に実際に入社したものの、プログラミングに興味が持てなかったことと、社内虐めにあったせいで、その思いも消えていった。何ならITそのものが嫌いになり、そこからの脱却も考えた。

 その虐めの最中に、先輩から「君は"自分"が強すぎる」と言われたのをきっかけに、「この仕事は適職じゃない あんまり自分の意見言ってないのにそう思われるなら、違う場所でそういう生き方をしたい」と思うようになった。それがきっかけで去年の4月から、正社員をやりながら、あるクリエイトな活動をすることになった。知ってる人は知ってるだろうけど、これについての詳細は伏せます。聞きたきゃDMして。まあ、関わりたくないけど知りたいって人は、週末のバンドマンやたまに短歌書く人ぐらいのイメージで抑えてください。

 結果的に、それが自己実現に近いし、なんだったらそれを本職にしたいけど、まだ勉強が足りてないのと結果を出せてないので、今は正社員と兼業かな...

 

***

 

 草野マサムネになりたいと思った時期もある。

 しかしバンドマンになりたい訳ではなかった。単に、草野マサムネのポジションや見た目、メディアからの扱われ方に憧れてただけだ。ダウンタウンになりたい芸人の8割と同じだ。ダウンタウンの売れ方に憧れているのであって、ダウンタウンのように常に新しい笑いを生み出したい訳では無い、あの感じ。

 結局自分は、何も無い人間なんだなとも感じる。

 社会や世間が何も信じられなくなって、自分独自で世の中を解釈し始めて、その解釈が、正しくはないかもしれないけど聴きごたえのあるものへと昇華する。それが楽しくて、今を生きている。

 だから、ある意味では自分は何者にもなれなかったし、逆を言えば既に何かになっているのだ。そのクリエイトな活動は、特にコストはいらない。準備しようと思えばどこでもできるものなので、それを表現する場は、未来永劫失われることはないだろう。

 

 その上で次の質問に答えることにする。

 

 「何になりたいんですか?」

 

 そしたらこう答える。

 

「存在で飯が食えるようになりたいです」

 

 これしか言いようがない。だって、結局自分は、他の人のように何かを努力して、努力した結果通りに、得られた人生では、なかったのだから。

 

《補足》

 うちの両親は、共に専門職だった。そんな家庭で育つと、何かしらの勉強に特化する→そのスペシャリストになる という生き方しか見えてなかったのかもしれない。だから常に何かになることについて考えざるを得なかったし、実際文学部入った時「教員免許を取れ」と言われたのもそれなんだろうな。

 何かになるように強制され続けた結果、何にもならなかったしなれなかったからそれそのものがテーマとなり、この文章が自叙伝みたいになったのかも。