潰れた檸檬

自傷しなくても傷だらけ

ふよう論

 家族って何のためにあるのだろうか。

 

 家族とちょっとした口論になった。そして遂に、「高校卒業までずっと嫌な気持ちで学校行ってたんだから今更好き勝手生きたっていいじゃん。社会的身分もあるし、家賃も納めているし。」と吐いてしまった。

 

 そしたら「あなたが少しでも学校を楽しめるように、どれだけ私達が先生や同級生の親と話してきたかも知らないくせに」と返ってきた。

 

 俺って生まれちゃいけない存在だったんだな。

  

 本当ならば、そこで「親はそんな俺のためにわざわざ...」と感謝すべきだった。しかし、何度自分に問い合わせしてもその感情に行き着かなかった。行き着かなかった自分は不届き者なのかもしれない。

 

 なんでだろう。例えばこういう時に、そういった会話に合わせるべきだったのだろうか。しかし、自分の本心を曲げてまでも合わせる必要があるのだろうか。家族は、結局縁を切る事はないからこそ、本音で言い合うべきでは無いのか?

 

 元々高校が本当に嫌で、高認取って大学に行きますという意見を支援してくれなかった腹いせがある。

 

 なるべく当人が本心のままいられたらいい、という理想があるため、この本心が傷つけられた気がした。自分の意見を否定されたと言っても過言ではない。高校までの環境に自分は(影響は受けたが)合わせなかったのも、合わせる環境に価値がなくて、つまらなかったからだ。その判断基準はこっちにあるし、それを理解して欲しかった。家族には。

 

 結局ダメだった。それから何週間か経ったが、そのモヤモヤが晴れない。

 

 事ある事に、楽しく過ごして欲しいって俺に言うのに、俺が可能な限りで、法に触れない範囲で楽しく過ごせる方法を提案すると否定する。

 

 なんだろう。俺に対する扶養は不要だったのかな。