潰れた檸檬

自傷しなくても傷だらけ

自己紹介をnoteに書いたらURL無効だったからこっちに移した

アカウント名:冒険処女 

 

通称:冒女、BJ、AV、処女っち

 

MBTI:ENTP(非公認)

 

エニアグラム:5w4

 

アカウント名の由来:相対性理論の『LOVEずっきゅん』の「want you わたし冒険少女」、『キッズ・ノーリターン』の「冒険少女ノーリターン」からの引用。まだまだ冒険が足りないという意味があるとかないとか…

 

自認性別:男性 

 

好きな性別:女性(ヘテロセクシャル)

 

生年月:1996年4月〜12月 

 

経歴:東北生まれ→東京の小学校→五流中高一貫男子校→浪人→Fラン→別大学文学部社会学専攻に再入学→底辺エンジニアとして正社員就職→役員と揉めてクビ(自主退職)→ニート→フリーター→SES勤務(現在)

住居遍歴:福島生まれ(生まれた病院は東日本大震災で潰れました)→八戸→東京→福島市→東京(x区)→東京(y区)→高円寺(現在 一人暮らし)

 

特技:水泳(中高の部活)、卓球、バドミントン

 

趣味:お笑い(M-1 R-1の1回戦鑑賞経験有)、お笑い地下ライブ巡り、読書、麻雀、カラオケ、着ぐるみ鑑賞、アングラ鑑賞、飲み歩き

 

バイト遍歴:ティッシュ配り、イベントスタッフ、剪定補助、アイドルライブの剥がし、駐車場の整備、エアコン取付補助、運送会社の仕分け作業、ヒーローショーAD、着ぐるみの中の人、(飲食接客等の「普通のシフト制バイト」の経験が皆無)
最後2つに関しては現在も継続中。

 

好きな芸人:
(関東)ランジャタイ、馬鹿よ貴方は、天竺鼠東京ダイナマイトさらば青春の光日本エレキテル連合、マツモトクラブ、岡野陽一(巨匠)、キュウ、ヤーレンズ、カナメストーン、パンプキンポテトフライ、十九人、ミカミ 

(関西)村橋ステム、金属バット、ハクション中西、ダブルアート滝音、チェリー大作戦、ヤング、ぐろう、ヘンダーソン、豪快キャプテン、バッテリィズ、空前メテオ

 

好きなアーティスト:相対性理論、ブリーフ&トランクス、集団行動、タルトタタンハートバザールJUDY AND MARY神聖かまってちゃんアーバンギャルドチャットモンチー、ネクライトーキー、フレデリック銀杏BOYZブルーハーツ…等

 

※電話をかけて出なかった場合、用件を書いてください

 

リンク集
 
※潰れた檸檬は「拗らせ自意識」がモットー。

 

note(比較的見せられる文章)

 

赤い林檎

 

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ネタ垢

 

フォロバ垢

 

 

 

しょうにん しょうにん しょうにん

 先日、子ども縁日のイベントバイトをやった。

 

 小学生以下は無料で、内容は、輪投げと簡単なボール入れ。終わったら結果関係なしにお面をプレゼント。

 

 今回の目的は、お面に描かれているキャラクターの販促だ。無料ゲームを通じて、キャラクターに興味を持ってもらい、グッズ、ゲームへとユーザーを増やしていく。要は無料サンプリングですね。

 

 早速始まったのだが... 予想通りだった。高学年あたりの子はやりたがらない。無料だからやっていけばいいのに、やらないのだ。というか、やりたくないのだ。その意思表示がある限りは、別に強要はしないし、そうだと解釈する。

 

 当たり前だ。彼らにもプライドがある。恥ずかしいのだ。小さい子と一緒になってはしゃぐのが。大したことのない子ども騙しゲームに付き合わされて、スタッフから、"子ども"として扱われるのが嫌なんだろう。輪投げに至ってはそもそもの面白さが分からないってのもあるけど。

 

 こういう企画で小学生以下と銘打つのは、企画者側が小学生を「子ども」として見なしているからだ。それ以外ない。だから、1年生だろうが6年生だろうが、"ガキ"として扱う。でも実際アラサーから見ると高校生ぐらいまでみんな同じに見えてしまわないですか...?

 

 この内面と外見のギャップが残酷なのだ。理想と現実とでも言うのだろうか。私自身6年生(中学受験!)を振り返ってみても、やらないだろう。何故なら、「自分はもう大人だ」という謎の自意識があったから。

 

 この自意識はどうやったら満たされるのか?バイト中はヒマで退屈だったためそれを考えた。思えば、私が6年生の頃は、誰であろうとも私の話を真面目に聞いてほしかったから、話を真面目に聞かない人に対して「バカだ」と決めつけ距離を置いた。加えて中学受験の勉強していたから、「そこら辺のガキと一緒にすんな」というある種の選民思想があった。まあそれも、今思えば勉強しかできなかった(しかもその勉強も特段上ではなかった)コンプレックスの裏返しで、実際はプライドが高かっただけ。そして、そのプライドの高さと歪んだ自意識を満たしてくれるのが中学受験だったなと思う。少なくとも自分はそう。他は知らない。

 

 中学受験勉強をしている自分がカッコイイのだ。それをやってるだけで公立小の教科書は簡単でつまらないと一蹴できて、しかも金持ってる家庭しかできない特権で... 何より「ガキと見なされることから解放された気分」になる。要は、"大人扱いに近い承認"を得られる。だから励んだ。興味無い科目が出来なくて結果的に詰んだけど。

 

 自分の場合は極端に歪んでいるから例外としても、励んだ人の多くは多少なりともそういう意識があったんじゃないかと思っている。子ども縁日でやりたくないという意思表示も、大人と認めてもらいたいが故の言動だったかもしれない。中学受験ガチ勢はそういう所にそもそも来ないから、データは取れないが笑

 

 本題に戻ろう。高学年の子に限らず「ちょっと上に行きたい」という願望は、いつの年齢にだってある症状だと思う。ある種の支配欲かもしれない。うちの家庭の場合、父親がまあまあな職に就いていたため余計に「上層に行く」という意識が強かった。

 

 自分を含め、こういった願望を満たすイベントはあるのだろうか。東京だったから中学受験で済んだが、中学受験がない地域だと、どうやって彼らの自意識を満たすのだろうか。

 

 だから、だから憂鬱なのだ。小学校高学年は。中高生だと多少なりとも教員が耳を傾けてくれる。

 

 ***

 

 「やりたくない」と言った子どもに対して、怒った親がいた。せっかくスタッフ(我々)が声掛けてるんだから、やれよと。でも上記の記事を見たら考え方が多少なりとも変わるのではなかろうか。親の役割は、子のそういった些細な心情に向かい合うことだと思う。自分が反出生主義でかつ優生思想から解放され子どもを配下させた場合、ちゃんと話を聞いてあげられるような親になりたいなと思ったのでした。

 

〈余談〉

某中学受験塾で起きた犯罪って、子ども側が「大人として認められたい」という欲求があり、講師はそれを利用して犯罪をしたと思う部分がある。あんなことされたら拒絶するのが当たり前だと思う。後は恐怖で抵抗できないとか?

 

 

 

 

 

なんとかならないと

 「どうなりたいんですか?」

 

 いやいやいや。困るわ。公私共に、訊かれて困る質問No.1かもしれない。そんなもんないよ。だって、何かになることよりも何をやりたいかを大事にしてきた人生だったんだもん。しかし、社会の構成員として生きる以上、これから逃れる訳にはいかないんですよね。なぜならそこにいる以上、何らかの役割を果たさなきゃいけないモンなので。

 

 こんなめちゃくちゃな僕ですが、これでも昔実はなりたいものがなかった訳ではないんです。最近だったら、草野マサムネとか、日本エレキテル連合とか、早慶出身のリア垢兼ツイッタラーとか、あの感じですね。どれも本気じゃないけど。まあとりあえず、今日は幼少期から今に向けて、「なりたい願望」と自分との関連性について、描いていこうかと思います。

 

1.中学入学まで 

 確か国家公務員になりたかった気がする。

 お笑い好きだし芸人にもなりたかったような。政治家とか、国家公務員への憧れがあった。父親が実際そのような仕事に就いているというのが大きい。

 父親はかっこよかった。父親の仕事で日本の治安が保たれている。また、自分の同級生の親は諸事情で父親のような仕事に就いた人が多かったため、「勉強してこの国を支えていくんだ」という意識があったかもしれない。あとは、僕は昔から話し方や振る舞いが笑われやすかったために、見返したいという気持ちもあったと思う。

 「公立中の空気を吸いたくない」という理由で中学受験をするも、興味無い分野へのモチベーションが保てずに第5志望に行く。

 

2.中学

 色々な経緯があって虐められてた。

 この虐めには自分にも原因がある。「滑り止めの方々ですよね?あなた達どうせバカなんでしょ?」という見方を教員や同期にしていた。そりゃあ嫌われるわな。でも口では言わないタイプだったため、自分がそういう扱いをされる理由がわからず、深く苦しんだ。

 小学校、中学入学直後位までは真面目にコツコツ勉強やってた気がする。この国を自分で変えてやるんだという意識が強かったものの、「どうせこんなバカ中学から良い大学は行けない」「勉強して私立入ったのに虐められるのは日本の教育が終わってるからだ」「そんな社会のために頑張ることになんの意味があるのか」という思考に段々変化していった。その結果、なりたい願望というのが消えていった。努力すること自体を放棄し始めた気がする。だが、当時は模試を受ければ上位層に組み込むぐらいの頭があったため「そのままでも何とかなるだろう」という余計な自意識が芽生えた。これが今の自分を形成している気がする。極端なネガティブと、尊大な自己意識と。

 段々、何かになりたい意識が消えていった。残ったのは、やりたい願望だった。学校や家庭に居場所がなかった(テスト勉強をしない体質だったため放任気味になったのが原因)ため、ネットで自分の居場所を知った。死にたい意識もゼロではなかったが、デパートメントHの存在を知ったり、あとやっぱりさ、18禁の扉を開く前に死ぬのは如何なもんかなというのがね。

 

3.高校

 なりたい願望は消えたものの、ハマっていることがあった。DSの「A列車で行こう」にドハマりし、都市計画がやりたいとまで思うようになった。ディベロッパーの社員になって、都市を計画したいなと。自分が考えた計画が、街の中に現れることにワクワクする。

 その後は社会学者になりたかった。社会学に詳しいというワケではないが、自分の意見を言える場所としては適切だろうと考えた結果だった(当時は高校生だ そこら辺の事情は察してくれ)。とにかく、自分の意見で社会を変えたい、という意識が強かった。

 ディベロッパーの社員から社会学者ってブレブレじゃねぇかと思うかもしれない。でも共通点がある。僕はひたすら「自分の意見をみんなに言い、それを後世に残したい」のだ。何故なら、自分の話を聞いて貰えなかった過去が多い(と感じている)からだ。トラブルが起きても、自分の話を適切な処理をされなかったり、親に自分の意見を言っても「疲れる」の一言で一蹴されたり。だからこそ、自分の意見を言って、相手や社会がそれで変化していく有り様を見てみたかったのだ。

 

 3.大学

 上記にように思ったのが原因で社会学専攻に進学した。社会学がそもそも好きだったし、社会学者になって意見を言ってやりたい!...と思ったのもつかの間だった。学者の仕事は持論を述べることではなく研究することだと理解し始めた結果、その選択は適切ではないことに気づいた。ただ大学自体はめちゃくちゃ楽しくて、暇さえあれば図書館で本読んだり、履修外の講義に潜ったりしてた。それだけで相当満足できる状態だった。

 なりたい願望が消えたが、自分の人生に影響を与えた出来事がある。「ぬいペニ事変」だ。

 これがめちゃくちゃバズった。これは別に意図したものではなく、寝ぼけながらツイートしたものだ。しかし、これが拡散すると日本中でこの議論が行われるようになった。寝ぼけて言ったツイートが、論争を呼び、雑誌に載り、学者が言及し、曲になり、番組で採り上げられ、遂には冒険処女を知らない人でも使いだすようになった。この経験は自分の人生を変えた。まさに、自分の理想だった。

 必死に考えて出したものではない分、自分のセンスに対して過剰に自信を持つ結果となった。自分の言語感覚はイケている、それが唯一の特技だ。自分は言語化スペシャリストだとまで思うようになった。たかだか1回で、しかもその後不発で、何も結果出せてないのにね。一発屋芸人かて。

 この経験を通じて、「自分のセンスを出して金稼ぐ人」になりたくなった。しかし、そんな職業ってなんですか?調べ続けたが見つからなかった。いや、あったかもしれないが、上手く取り込めなかったのかもしれない。

 

4.就活〜正社員(現在)

 「自分のセンスを出して金稼ぐ人」になるべく就活したものの、計量的結果に基づくエピソードではないこと、冒険処女を使った就活は正直しんどそうだったのもあり、結果的にはほとんど失敗した。たまたま何らかの学力テストに受かり、そこで働くことになった。当時は「自分のセンスを活かしたアプリを開発したい」と思い、Web系やIT系を受け、"理想とは程遠いが一応IT企業"に実際に入社したものの、プログラミングに興味が持てなかったことと、社内虐めにあったせいで、その思いも消えていった。何ならITそのものが嫌いになり、そこからの脱却も考えた。

 その虐めの最中に、先輩から「君は"自分"が強すぎる」と言われたのをきっかけに、「この仕事は適職じゃない あんまり自分の意見言ってないのにそう思われるなら、違う場所でそういう生き方をしたい」と思うようになった。それがきっかけで去年の4月から、正社員をやりながら、あるクリエイトな活動をすることになった。知ってる人は知ってるだろうけど、これについての詳細は伏せます。聞きたきゃDMして。まあ、関わりたくないけど知りたいって人は、週末のバンドマンやたまに短歌書く人ぐらいのイメージで抑えてください。

 結果的に、それが自己実現に近いし、なんだったらそれを本職にしたいけど、まだ勉強が足りてないのと結果を出せてないので、今は正社員と兼業かな...

 

***

 

 草野マサムネになりたいと思った時期もある。

 しかしバンドマンになりたい訳ではなかった。単に、草野マサムネのポジションや見た目、メディアからの扱われ方に憧れてただけだ。ダウンタウンになりたい芸人の8割と同じだ。ダウンタウンの売れ方に憧れているのであって、ダウンタウンのように常に新しい笑いを生み出したい訳では無い、あの感じ。

 結局自分は、何も無い人間なんだなとも感じる。

 社会や世間が何も信じられなくなって、自分独自で世の中を解釈し始めて、その解釈が、正しくはないかもしれないけど聴きごたえのあるものへと昇華する。それが楽しくて、今を生きている。

 だから、ある意味では自分は何者にもなれなかったし、逆を言えば既に何かになっているのだ。そのクリエイトな活動は、特にコストはいらない。準備しようと思えばどこでもできるものなので、それを表現する場は、未来永劫失われることはないだろう。

 

 その上で次の質問に答えることにする。

 

 「何になりたいんですか?」

 

 そしたらこう答える。

 

「存在で飯が食えるようになりたいです」

 

 これしか言いようがない。だって、結局自分は、他の人のように何かを努力して、努力した結果通りに、得られた人生では、なかったのだから。

 

《補足》

 うちの両親は、共に専門職だった。そんな家庭で育つと、何かしらの勉強に特化する→そのスペシャリストになる という生き方しか見えてなかったのかもしれない。だから常に何かになることについて考えざるを得なかったし、実際文学部入った時「教員免許を取れ」と言われたのもそれなんだろうな。

 何かになるように強制され続けた結果、何にもならなかったしなれなかったからそれそのものがテーマとなり、この文章が自叙伝みたいになったのかも。

 

シンキング・イン・ザ・トラブル

 まいにち、いきていて、おもうことがあります。

 

 「言葉先行形の人間には勝てない」  

 

 ということです。

 

───────────

 

 私は、話し中でも考えている時は黙ってしまう癖があります。

 

 頭の中で話の構成を練っているからです。これは別に、自分主体で話す時以外でもこうなります。例えば会話の応答とか。

 

 対面の会話だと「こいつ考えてるな」と察してもらえる(ありがとね)のですが、これが通話やZoomだととんでもないことになります。何故なら、オンライン会話において考えて黙る行為は無視と同意だからです。

 

 これが原因で前の会社ではボコボコにされました。特に、前現場の上司は、少しでも間を開けると「無視すんじゃねーよ!!!」とLINE WORKSで罵声を飛ばすのでした。

 

 実際、プライベートでの通話でも似たような指摘が多い(少し間が空いただけで「聞いてる?」と返される)ので、対策を練ることにしました。その結果、「シンキングタイムに入る時に相槌(例:ちょっとまって、今整理してる、等の応答)を入れる」という案を採りました。このおかげで、前よりは不愉快にはなられないかと思いました。

 

 でも... これって、考える癖のある人が考えない人に合わせてるだけだと思うんですよね。

 

 これを感じさせる出来事がありました。妹は、思考よりも言葉が出るタイプなんですが、例えば何かを探そうとする時すぐに「〇〇ってない?」と言います。あと、身体のどこかが痛い時にも「××痛〜い」とすぐに言います。個人的には、お前の情報なんてどうでもいいんだよ=黙っててほしい、なのですが。

 

 この妹こそが、「言葉先行形」なのです。

 

 私は、まず可能性のあるところを探して、その後に尋ねます。あと痛い時は痛いと言わずに「絆創膏ある?」と訊きます。多分これは考える癖があるとかというよりは、自然とやっちゃうんですけどね。でも世の中には、妹のような言葉先行形が多いみたいです。なんなら、そういう人の方が好かれるみたいです。怖いね。

 

 それは単なる家庭内での話には留まりませんでした。

 

 働いていても、(失礼だが)不必要や発言をしている人の方がスムーズに行ってる気がしてならないんです。Excelの使い方ぐらい調べろや、好きな店なんて人それぞれだろ、サッカーは無知な分話せば話す程恥ずかしい、と思って何も言わないのですが、それがかえって良くないみたいで。

 

 これが飲み会やプライベートなら問題があります。それらの場なら、ノレる社会性は持ち合わせてます。でも仕事の場で、そんなことを話しても相手の時間を奪っているのでは... と考えてしまうのです。

 

 実害もあります。よく「わからなかったら質問してくれ」と訊かれます。わかったフリが1番良くないと、多分人の数百倍は言われているので承知していますが、まず思考してしまうせいで不明点に気づかずにスルーすることがあります。ただ質問すると、「なんでそんなこと知らんのや」みたいな反応されることもあるし、難しいなこれは... ただ言葉先行形の人は本当にすぐ言葉に出すし、そこは凄いけどなんで言葉に出す前に考えないんだろう... いや考えてるのか?でも考えてるんだったらその行動は取らないよな... と思考にまた耽ける......

 

***

 

 「なんで質問しないの?」

 

 1ヶ月ぐらい前に言われた言葉だ。ミスを犯す前段階の話だから、実害は起きてない。

 

 我々のような人間は、質問を考える時間がいる。それが理解されてない。だから、「わからないところある?」とか急に聞かれてもすぐには出せないのだ。つまり、その質問は"わかってる側"による見解でしかないのだ。

  

 この質問は、わかってる側の見解でもあるけど、言葉先行形の言葉でもある気がする。普通に考えたら、そんな質問は出て来ずに「まあやってみなきゃわからんよね」となるオチだ。しかし、「この人もすぐ言葉を使う」という前提を吹っかけてきては、吃る我々をコミュ障と呼ぶ。

 

 言葉先行形の人間になりたかったな。

 

 でもどこか距離置きたい部分もある。

 

 自分は何を先行すれば良いのだろうか。

 

 

 

余談:このブログの記事も考えすぎて結局まとまらなかったので、とりあえず出しました。

 

 

 

コロッケそば

 令和4年12月5日、都内某所、私はコロッケそばなるものを食べた。値段は370円。それでも、コロッケと汁の相性が絶妙なのと、時間が経つにつれて味の変化が凄まじく、更に店が大衆の風貌だったのもあって、すごく美味しかった。

 

「また食べたいな。コロッケそば。」

 

───────  

 現場(ここ)に来てから1ヶ月経過した。全く知らない土地ではあったが、慣れてくると温かみのあるような街にも思えてきた。それもそのはずで、ここは都内の、良い意味でも悪い意味でも、"下町"なのだ。その下町にある企業に派遣されて、自分の仕事をしている。

 

 1ヶ月前までの生活は本当にだらしなかった。朝と夜の区別がつかず、バイトも週2しか入れてなかった。かと言って勉強は苦手だったので、空き時間に意識高いことができる訳もなく、とりわけ暇な時間はM-1の動画が埋めてくれた。ここまで見ると優雅に思えるが、実際は無職で金がないという状態だったので、切羽は詰まっていた。そんな中現場を紹介され、働き、今はコロッケそばを食べている。

 

 半年ぶりの正社員労働は、自分の身体と脳にムチをうつ結果となった。なんとか自分なりに行動しているつもりだが、どこもかしこも鈍っており、それなりの失敗も1ヶ月で繰り返した。そんな状況でも、世の中は頑張りだけではどうにもならないのだ。何もかも空回りした。しかし現場に弊社の社員がいなかったので、メンタルもテクニックも自分で何とかするしかなかった。特段強い説教、それこそ前のような理不尽な罵声こそ飛ばなかったものの、精神的にはかなり追い詰められた1ヶ月だった。

 

 そして、現場からのクビを宣告された。

 

 ハッキリ言って仕方がないのだ。諸々が諸々な状態(察して)で派遣されたから、完全に内容と能力で消化不良だった。実力不足はもちろんのこと、1年前なら出来ていたことが出来なくなっていたという怠惰な面もあった。それを感じていたので、自分がこの場所にいること自体現場に申し訳なかった。多分年は越せないだろうと思ったら、本当にその通りになった。しかも、現場の人が直接伝えるのではなく、弊社を経由してクビを宣告してきたのだ。どんな気持ちで働いてんのよ。俺もアンタらも笑

 

 日頃はそのオフィスの社食で昼食を取っている。唯一私が1人になれる空間で、食べ終わってもちょっとだけ座り続けることもあった。他の方々ごめんなさいね。1日に数分は音楽聴いて1人の世界に閉じこもる必要性がある生き物なんです。

 

 今日は所用で外に出た。前に食べた二郎系の真向かいに、如何にもな食堂があるのを覚えていた。それを頼りにその店に向かった。そば、うどん、カレー、カツ丼、何でもあるな... そう言えば、コロッケそばって食ったことなかったな────────

 

***

 

 店は客でごった返していた。その店は汎用性が高く、居酒屋的な要素も兼ね揃えていた。私が座った席の隣では、既にレモンサワーを飲んでるオッサンらがいた。楽しそうだ。俺も飲みたい。1ヶ月前までぐらいはアンタらと俺は同じだったんだぜ?昼間に酒飲むことの幸せを味わいたいよ... 勝ち組羨ましい... ってどっちが勝ち組なんだ!?お前だって就職したくて仕方がなかったんじゃないの?でもまあ、そのオッサンらよりは最低限の保証はあるかもしれない。そのオッサンらも無職じゃないのかもしれんけどさ。

 

 おばあちゃん店員が半ば雑に品物を置いた。これがコロッケそばか。温かいそばにコロッケとネギを乗せただけの。これがコロッケそばなるものか。とりあえず口に入れた。とても美味しかったし、なんならやさしかった。このコロッケそばだけは、この街、いやこの世界の唯一の味方かもしれない。そばをすすりながら、コロッケを少しずつとかしながら、心の中でふと呟くのだ。

 

「また食べたいな。コロッケそば。」

 

natsu_ga_owaru

 夏が来て大分立った。というより、今この日程は盆なのでは?

 

 この夏は、自分がまさかの無職であるということよりも、あるタイミングを心配して仕方がなかった。

 

 白血病で亡くなった同期の墓参りである。

 

 この同期は、『忘れらんねえよ』で触れたMのことである。

 

大抵の部員は、Mとの思い出があるので寄せ書きの際にスムーズに書けた。しかし、自分はMとは確執が多かったので上手く書けなかった。何とか絞り出したのが「頑張ってね!復帰したら平泳ぎ教えてね!」ぐらいしかなかった。当時は何とも思わなかったが、これを見た別の同期が「お前これはないだろ...」と言い放った。

 

 この同期の墓参りは、盆の土日に行われる。これはある意味同窓会の役割も果たしており、そこで思い出話に花を咲かせるのである。

 

 今年はこの墓参りに参加する、はずだった。

 

 勿論、この一言でハブられたのは言うまでもない。

 

【補足】

 実際Mに対して思い入れがなかった。Mが亡くなった2011年以降水泳部全体で毎年墓参りしているのだが、「墓参りダルくね?もう終わったことなのに毎年やんなきゃいけないの?」と言ったせいで部活内での支持が得られなくなった。この発言を受けとめた相手が「毎年集まることに意味がある。」と反論して以降、「もう水泳部のグループLINEから追い出していいよ」と言った。いや、言う前に自分から抜けたかもしれない。とにかくこのデリカシーのなさ、そして自覚できてるのに治さないし治せないところが自分をよく表現しているのだろう。

 

(上記のブログより引用)

 

 

しかし、その状況を変える出来事があった。それは、昨年の11月である。自分から誘って、禁断の掟「同級生と会う」を破り、ある同期に会いに行ったのだ。

 

 当時、過酷なパワハラ現場にいた自分は、ジャンルを問わない"助け"を求めていた。だがTwitterだと「被害者アピール」「甘え」だと言われるし、家族や同期なんてただ時間を食い潰すだけ。そもそも別の同期が配属された時は上司の機嫌を損ねて追い出された(今思うとラッキーガールとしか言いようがないのだが)から会社の上層部に伝えても意味が無い。ガールズバーやスナックは翌朝財布を見た時の絶望感がエグい。となると、残された手段として「かつての同期と会う」を採ったのである。

 

 その同期をファミレスに呼んで話した。なるべく自分語りにならないように。再会までの6年間を話した覚えがある。昼間だったのでそれで解散した。その後、なんともやり切れない感情になって、赤羽の河川敷で缶チューハイを空けては飲みまくった。なんで自分はいつもこんな目に遭わなければならないのだろう。これ以上自分が酷い目に遭うのは耐えられない。やっぱり僕が中学の時に感じた、「この世の人間なんてバカかクズかゴミのどれかだ」というのは正論なんじゃないかと。でもそれにしてはゴミだらけだ。3Rもできないような。そんな僕が何故大企業をクビになったバカの言うことでメンタルがやられるのか、自分で自分が分からなくなっていた。

 

 話は戻すけど、その同期は『憂さ晴らしで呼ばれた』と感じたのだろう。

 

 その時の話で「あの時墓参りを断ったけど、今は反省している。次は呼んで欲しい。」と頼んだ。帰りにその同期に「今日はありがとう!墓参りの時は誘って〜」みたいなLINEを送ったが、未読無視された。そして今もそれは続いている。

 

 自分は同期を利用してしまったのだろうか。それでイラつきが再熱したのだろうか。結局彼から返信が来ることなく、墓参りの季節を迎えた。

 

 またひとつ夏が終わる 音もたてずに

 

 ここまで来ると、自分からLINEを送るのも照れくさかった。

 

 そして、熟考するとやっぱり墓参りなんて意味が無いのでは?と感じてしまう。またひとつ、これが自分の本性で、末永く付き合わせてもらう一面なのだと感じるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

リッチ

 職場の最寄り駅付近に葬儀場がある。

 

 駅近くなので、使うのには非常に便利だ。最寄り駅付近は交通の便が良いため、高層ビルやマンションが並ぶ。葬儀場は、そんな立地の良い所に建てられた。隣にコンビニあるしね。

 

 もし葬儀場が移転したら、跡地の地価はどうなるのだろう。

 

 直感で言えば、下がるだろう。不謹慎ではあるが、事故物件と同じ扱いをされてもおかしくはない。ただあまりにも立地が良いため、ぶっ壊された後マンションができたらたちまち人気物件となるだろう。

 

 そんな感じで、葬儀場の跡地について考えてみた。

 

 逆に葬儀場を建設する業者は、何を考えて土地や建物を選ぶのだろう。「ここなら葬儀場に相応しい」とかでも思うのだろうか。相応しい場所とは?