潰れた檸檬

自傷しなくても傷だらけ

同期に負けた

 友人から、「タイトルでかけるのはもう飽きた」と言われたのでストレートなタイトルにしました。

 

 さて本題。タイトルの通り今回はまさに「同期に負けた」のである。

 

 今の事務所にほぼ同時期に入った同期がいる。若いけど、顔がちょっとだけ柴田理恵に似てるから柴田にする。柴田はバレエ経験があった(注:推測である。だって稽古の時よくバレエ経験者がやるような身体の伸ばし方してたからね。)。だから上達が早かったし、ダンスだってすんなりと出来た。そして聞くところによると、今週の土曜にはもう本番を迎えるそうだ。

 

 一方、私はまだまだ初心者だった。いくつかの養成所や稽古場を転々とした時期はあったが本当に身につかなかった。また、ダンスも演技も未経験だった。おまけに運動も得意ではなく音程も別に取れるわけではなかった。だから先輩や上司が付きっきりで教えてくれたり、そういうのの連続だった。ここで本当に同期に負けたと自覚したのである。また、柴田は陰キャの私とは違って社交的で程良く喋る人だった。そういう意味でも柴田はいろんな人に好かれたし、勝ち目がなかった。本当に"負けた"。

 

 ただ...負けたけど悔しくはなかった。むしろ"同期に負けた"という事実をすんなり受け入れられている私自身に満足している。昔はそれすら認めたくなかった。

 

 良い例が勉強である。勉強は苦手ではあったものの、頭が良いという謎のプライドがあったせいで「別に負けている訳では無い」という自信があった。実際、入った私立中高では当初はトップだったが努力や勉強しなかったため気づけば下から数えた方にいた。まあ最も、中学受験の段階であまりそのやり方がわかっていなかったから仕方なかったのだが。その時は本当に負けを認めたくなかったから、出来もしないのに国立文系目指したり、模試の成績を全く見なかったり、散々だった。それは浪人してからも続いた。浪人してからは、まず模試を意図的に受けなかった。私は才能はあるからまあ受かるでしょみたいなものがあった。自分の実力に対してきちんと向き合おうとしなかったのである。結局それは次第に打ち砕かれていくのだが、そこまでにもかなりの時間を要した。

 

 そんな自分が、「同期に負けた」という事実をちゃんと受け入れられたのだ。自分のことを長く見守ってくれてる人はいないし、それは自分だけだから、自分に赤飯を炊きたいぐらいだ。それぐらい、私の人生に同期という存在は影響を及ぼしたのである。