潰れた檸檬

自傷しなくても傷だらけ

ワード

  たいていの場合、他人と話す時に言葉を探さないといけない。

 

 大学の数少ない仲良い同期にIがいる。大学入学直後からずっと仲良い同期だった。珍しく、大学外でも遊ぶ仲の同期だった。

 

 きっかけは、私が話しかけたからだ。入学当初から「シェイクスピアが好きで...」と自己紹介をした彼だから直ぐに話しかけた。そしたらやっぱり気が合った。サークルに誘ったりして一時期は2人でサークルを切り盛りした。

 

 だが、仲違いまではいかないけどお互いの方向性がバラバラになろうとしていた。最初は今年の春だった。サークル長選挙で仕事量の少なかったが好感度の高かった彼が当選し、私が落選した。また、新歓時期にポスターの件で苛立ちを見せた時も比較的先輩側の立ち位置にいた。特に今秋もそうだった。サークル員が小旅行に行く時に行くか行かないか訊かれたが、私は普通に行かない選択肢をとった。ちょうどその時も忙しかったため、悪気はないがつい「暇なんだね」と言ってしまった。そこからギクシャクし始めた。多分こっちが何話しても相手は「意識高い」みたいに思うだろうし、実際そうなりかけている自分もいた。だから仕方ないのだけど、今日は「映画見に行かない?どうせ忙しいとか言うんだろうけどさ!」と釘をさされてしまった。実際研究と就活、更には起業準備等で忙しいのは否めなかった。

 

 やってきたことが跳ね返ってきてしまった。友達だからと言って気を許しすぎたのかもしれない。言って良いことと悪いこととかではなく、本音で話すことが大事だと考えていたが、結局は何とも言えないギクシャク感を与えていたのだ。忙しいことが事実だったとしても、忙しいという言葉だけは言ってはいけなかった。悔しい。そんな言葉を使ってしまったがために気まずい関係性になることに、もっと早くから気づけば良かったのだ。

 

 友達が出来た年齢があまりにも遅かった。もしくは、この配慮と気遣いのなさから友達が出来ない体質だっただけかもしれない。あの時「暇なんだね」と言って以降、また一部のフォロワーとの会話の中での指摘に影響されて対人が若干怖くなった。そして今日忘年会の予定を「全てにおいて余裕が無い」という理由で断った。

 

 いくら頑張っていたとしても、素の自分だと不快感を与えかねない言葉を吐く。それを分かっているから短時間で当たり障りのない言葉を探す。それでも外れる。自分との関わり方がわからなくなった人間はこっちをイジることで場を成り立たせている。それが社会だと社会構造について考えたこともないような頭の人達が正当化しようとする。全体的に疲れてしまった。何時間もワードに向かってた方が楽なレベルかもしれない。

 

 正直に話せば話すほど、人は離れていくのだ。だからこそ人に期待しなくなった。それは良いことなんじゃないかな。