潰れた檸檬

自傷しなくても傷だらけ

くつ

 電車で座る時に、靴がたまたまサラリーマンの革靴の上にかすった。要は、少し踏んだ。その後すみませんというポーズはしたのだが軽く、叩かれた。触る程度に叩かれた。そして嫌な顔をしていた。衝撃だった。

 

 毎朝ターミナル駅を2つ利用している身としては、例えば靴を踏む、荷物が当たる、身体がぶつかる、というのは故意であってもそうでなくても日常茶飯事であった。しかし、そう叩かれたことによって「自分は悪い事をした」ということに気付かされたのである。この出来事があった直後すぐサラリーマンを非難するようなツイートをしようとしたが、そもそも私が悪いのだ。私がそれ相応のことをしたからそうなったことに気づいた。

 

 人間は、こうやって何かしらの罰を貰わないと罪を認識できないのだろうか。でも、同じような状況にあなたが立たされた時「ちょっとぶつかってきただけで何よ...」と思ってもおかしくないはずだ。罰を与えたからと言って罪を認識するとは限らないのだ。

 

 じゃあ、今話題になってるハラスメントも罰を与えることで自覚ができたりするんじゃないんですかね。苦痛を与えたんだから苦痛を帯びろということですよ。それで罪がいくつ減るかという話ですが...