潰れた檸檬

自傷しなくても傷だらけ

パート

 フォロワーに半強制的な形で「第五人格」というアプリを入れさせられた。現在もそのアプリで遊んでいる。

 

 第五人格のルールは以下の通りである。別にこれが主題じゃないのでかなり端折って説明する。

 

①対戦において、1人のハンターと4人のサバイバーに分かれる。これらは任意で選ぶことができ、後述のハンターやサバイバーのキャラについても同様に選ぶことができる。

②ハンターとサバイバーは、フィールドに閉じ込められランダムの位置からスタートする。ハンターはサバイバーを追いかけ攻撃し、2回攻撃すると気絶しイスに吊るすことができる。しかしイスに吊るされたサバイバーは、他のサバイバーに助けてもらうことでイスから離れることができる。サバイバーは一定時間以上イスに吊るされると、フィールドに戻ることができなくなる(つまり、脱出不可能になる)。

③そのフィールドから脱出するには、フィールド内にある暗号機を5つ解読する。暗号機を解読した後、脱出ゲートの電源を入れることができる。その電源を入れるとゲートは開くが、開くまでに一定時間を要する。

④ゲートから3人以上脱出すればサバイバーの勝利。2人は引き分け。1人以下だとハンターの勝利になる。

 

 簡単に言えばケイドロ(ドロケイ)に近い。ただ追いかけ回すだけではなく、サバイバーがハンターに板をぶつけて一定時間ハンターを動けなくしたり、またハンターが特性を用いてサバイバーに接近したりすることができる。この追いかけの一連の所作はチェイスとも呼ばれる。

 

 このゲームの最大の特徴は、ハンターとサバイバーのキャラにある。例えばサバイバーに「医師」というキャラがある。医師は攻撃されたサバイバーを他のサバイバーよりも早い時間で治療できる能力がある一方、中産階級出身(という設定)のせいで、脚が少し遅いためチェイスにはやや不利である。一方泥棒というキャラは、脚が早く尚且つライト(懐中電灯)を持っているためハンターの目を眩ませることが出来るためチェイスには向いてる。だが、キャラの設定上解読のスピードが遅い。

 

 つまり、単純に考えればサバイバーのチームに医師がいるなら治療や解読を、泥棒がいるならチェイスを任せれば有利にゲームを進めることが出来る。実際、実力によって差が出てきてしまうけれども。

 

 だがここで問題がある。1人のサバイバーがイスに拘束された場合、助けに行くのは泥棒が有利だと思われる。しかし、泥棒のいる位置がそのイスから距離が離れていた場合、また同時に医師がそのイスから近かった場合、全体的に「医師が助けに行かなければならない」という風潮になる。ただこの風潮に対して従うかどうかはサバイバー同士で連携が取れない限りは医師の判断に任せる他ない。医師が助けようが助けまいが、ゲームのルール的にはどっちでも良いのだが自動的に"そういう雰囲気"に飲まれる。この時の判断が大きくゲームの勝敗に左右する。

 

***

 

 簡単にまとめると、与えられた役割とするべき役割が違うという場合もあるということだ。このゲームがそれを教えてくれた。

 

 "空気を読む"ということがあるのはご存知だろうか?勿論私はこの言葉は苦手だったし、今でも空気が読めない部類の人間である。ただ最近は個性ブームの所為か、「空気なんて読まなくていいんだ!ぶっ壊せ!」といった文言が溢れているように思える。私自身もその通りに思うのだが上記の医師と泥棒の状況において本当にゲームに勝ちたい場合、果たしてそれが通じるのだろうか。

 

 社会はそれの連続なのだ。例えば持ってる役割と与えられた役割が異なっていて、後者が不本意だったとしても全体の利益を考慮するとその役割を演じなければならない場合がある。身近な例だと、素は新人キャラではないがその事務所内においては新人で尚且つその事務所に留まりたいのであれば先輩がやらない雑務を背負わなければならないというジレンマがある。

 

 空気を読むというのはこういうことだと思った。誰と組むかによって自然と役割が定められ、誰かに言われなくとも与えられた役割を認知しそれを遂行するように仕向けられるのだ。第五人格だろうが実社会だろうが、もしその役割を演じたくなければ予めそのキャラを選ばない他ならない。もしくは、そもそも演じないという選択肢、つまり最初からやらない他ない。あるコミュニティに生きている限りは、個々が演じなければならないパートは既に決まっているという残酷さが常にあるのだ。