指導者の憂鬱
永遠の5歳児とも言われる冒女が本当に5歳児をやっていた頃、つまり幼稚園児だった頃毎週火曜日(だったかな?)放課後に開かれる体操教室に通っていた。毎回プロのコーチに軽いマット運動や縄跳びなどを教わった。長期休みにはキャンプやスキーなどもする。実際に当時から肥満体質であった冒女は縄跳びができるようになったし、陰キャの冒女が新しい環境にすぐに慣れるのもその教室のおかげである。
そんなある時授業参観があってお調子者の母親がコーチに冗談半分でこう聞いた。「センセイ、ウチの息子は頑張れば甲子園ぐらいには行けますかね?笑」って。
するとコーチは答えた。
「冒女には無理だ。」と。
続けてこう答えた。「実際努力すれば普通にはなれるがやはり甲子園やプロ野球となると骨格まで整ってないと厳しい。ダイ(同じ幼稚園に通ってた運動神経の良いヤツ)なら甲子園には行けるけどプロは無理かな。」
実際母親の質問なんてよくある軽いジョークにしか過ぎないし、自分の家系は揃いも揃って文化部出身だから運動に関してのセンスは絶望的にないのでああいうことを言われたことに関してのショックはなかった。ただ、プロになると少し見ただけでどの程度までいけるかわかってしまうものなんだなって。
これは別のことにも言えるのでは?
出来損ないを担当する学校の教員、多浪を教える予備校講師、売れないアーティストのマネージャーや社員、仕事が出来ない部下を持つ上司... 例を数え出すとキリがない。
指導者的ポジションにいる人間は、センスのない一部の人間に決して「君には無理だ」とは言わないし言えない。仮に言ったら大問題になる。現代はネットがあるから余計にタチが悪い。もちろんセンスのない人だって中には猛烈な努力をして自分のモノにした人だっている。かといって今までの冒女の記述から目を背けることが出来るだろうか?言わないだけで心の中では薄々感じているんじゃない?もちろん勉強のセンスもないし努力もしないくせに国公立に行こうとした冒女も含めてね。
指導者にはそういう憂鬱もあるんじゃなかろうか。いわば"真実"を知っているにも関わらずセンスのない人に対して「大丈夫だ。君なら行ける。」などという言葉を伝えなければならない。悲劇だ。
今はまだ若いと言われる年齢だからどうしても指導者側の立ち位置になれないので、その憂鬱を脳内に入れておく必要性に駆られた。そしてその悲劇から逃れるためには指導者と徹底的に対話をすることだろう。今もそうだが昔からどうも指導者にあたる人間が苦手で関わりを避けてきた。これからはどんどん対話していかないといけない。お互いの為にもね。
その必要性に駆られたのは、金スマでキンタロー。が昔お世話になった社交ダンスのコーチに会いに行った様子を見たからだ。基本的にテレビ見ないけどたまに見ると考えさせられるね。こないだのキングオブコントも面白かったし。From TBS...