潰れた檸檬

自傷しなくても傷だらけ

ハイスクール・ドリーム

ひょんなことから高校に通うことになった。

 

場所は浦和駅から徒歩20分ぐらいのところ。自宅から約1時間。

 

もちろん今の自分は大学生である。しかしあまりにも自分が「大学生としての任務を果たしていない」「大学に入りやりたいことが見つからない」という勝手な言いがかりによって何者かの計らいで一から高校に通い直すことになった。一部の人からすれば、「また」中退することになったのである。

 

もちろんいきなりそんなことが決まった訳ではない。高校入試としては異例の9月受験で決まった。レベルとしては自分の通っていた高校と同じぐらい。でも入試レベルは大学生の自分からすればさすがに簡単であった。おかげでトップクラスの成績で入学することになった。ちなみに受験した学校はそこだけ。

 

「なんだか、楽しみですね!」初めのガイダンスである教員にそう言われた。「21歳で高校生活スタートって、なんだか新鮮!」教員のこの言葉に悪意はなかったし、自分自身もこういう経歴はやがて面白いネタとして活用できると納得していた。しかし自分はわかっていた。いくらトップクラスで入学しても怠惰が原因で卒業する頃には下から数えた方が早いレベルになっていることを─────それを言わずに苦笑いだか愛想笑いだか区別つかない笑みを教員に提供した。さて、来年の3月までどう過ごそうか...

 

悩んでいるうちに目が覚めた。これは夢である。夢であることにかなり安心した。こんなの、その場のノリでどうにかなるレベルの出来事じゃないからだ!

 

珍しく夢の内容を覚えていたから大学に着くまでに回想した。なぜあれだけ貶してた自分の高校のレベルと同じぐらいのところに通う自分にワクワクしていたのだろう。そもそもなんでそこしか受けなかったのだろう。どうせ入ったってつまんないだの言い出して惰性で過ごすのになぜ楽しみにしていたのだろう...

 

結局自分は単に「新しいもの」が好きなだけだった。とにかく新しいものが大好きだ。とりあえず新しい環境に入ることにワクワクしていた。逆を言えば典型的な飽き性だ。だから今通ってる大学の前に「つまんない」を理由に一度大学中退を経験しているのである。

 

夢は夢だ。今回の高校の夢も目が覚めた頃には終わってた。そして高校に進学する際の、ひょっとしたら学生生活が楽しくなるんじゃないかという夢も結局夢で終わった。夢という単語は我々に何らかのワクワク感を与える意味があるが重松清も言ったように、結局夢は夢のまま終わってしまう。だから"儚い"という言葉が生まれたのか。人が夢に関わると儚いのか。でも夢の創造主は人類なのにね。皮肉だね。

 

どうやら"ハイスクール"と"ドリーム"は自分にとっては相性が悪いようだ。ちなみに高校生の時にドリームのためにハイスクールがつく某予備校に通ってたけど己の怠惰と学業放棄が原因で全落ちしてドリームが消えました。これも皮肉だね。