潰れた檸檬

自傷しなくても傷だらけ

祖母の妹

やっとブログの真髄に辿り着いた。家族の話ってありふれたブログの記事って感じがしない?これで見たくない人は見るなの論理が成立する。バンザイ。

 

祖母には独身の妹がいる。年齢は70代後半~80代。昔好きだった人が交通事故で死んだせいでそれ以降独身なんだとか。余談だけど、これを家族の中で最後の方に聞かされるあたり、自分があまり家族とコミュニケーションが取れてないのは自明だろう。

 

祖母の妹(以下、おばさんとする)は不器用な努力家であった。おばさんは戦前か戦時中に生まれた。戦後、通信制大学通って教員免許を取得した(実際に教員をしていたかどうかはわからない)。当時はそれが珍しかったらしい。また親族に政治家がいるため、その秘書も勤めていた。その仕事を引退した後は自宅で書道教室を開いた。自分も短期間ではあるがお世話になったことがある。とにかく職歴はあやふやなのだが努力して自ら手に職を得てきたタイプなのは間違いない。その点に関してはリスペクトしている。だから23区のベッドタウン的なところの3LDKの高級マンションに1人で住めたのだろう。まあ、〇〇区の中の高級マンションというのがまさにあの人のポジションを示しているような気もするけどね。今は年金もあるので様々な趣味に手を出しては独身を謳歌している。

 

だが、おばさんはとにかく不器用であった。上記の通り勉強はするタイプではあったので余計にタチが悪い。例えば料理教室に通っていても美味しい演技ができないほど不味いものしか作れず、それを把握したためかうちに来る時に手作りのものを持ってこなくなった。何よりもコミュニケーションが不器用であった。カレー屋から出てきた見ず知らずの客に「そこの店のカレーは、美味しかったですか?」とか訊いたり、ツイートにも書いたが幼い頃の自分がおもちゃで遊んでいた時に「そのおもちゃを買う為にあなた達のお父さんお母さんは働いたんですよ?」 とか言っちゃったり、自分が中学の時文化祭に来て「冒女くんはいますか」と教員や生徒に尋ねたり(後日その状況に出くわした同期らにめちゃくちゃバカにされました)、自分に会う度に説教したり、話がとにかく長かったり... 本当に不器用であった。

 

別に独身であることや子供がいないことを批判するつもりはないし、全員が全員そうではないが(この前置きを書いておかないとクレームが来るので書きました。世の中ってめんどくせえ!)多分その年齢で独身や子供がいないというのはそういうことなんだろうと思った。仮にもいた場合そのような発言はしないはずだ。それに、そのような事案が起きても身内が止めに入るはずだ。でも身内が我々しかいないから、我々が本当に、本当に遠回しに批判しない限りミスに気がつかない。  

 

でも、おばさんはいいサンプルになったと思う。ああいうのはよくいる。仕事の現場でも、そうじゃなくても。そして自分はああいうのにならなければいいのだ。悪しきサンプルが近くにあったおかげで何とかなってる節はある。ああはならないようにしよう。その思いがあるだけで全然違う。おばさんは要は孤独なのだ。それでこっちに絡んでくる。孤独だから身内と絡もうとするけど結局その身内より圧倒的にコミュニケーションが不足しているから無様な結果になる。そして身内が避ける。無限ループ。周りに人がいないという状況を如実に表している。哀れだ。

 

ただ、自分もそうなりそうで怖い。お気づきだろうとは思うが、自分もコミュニケーションが不器用である。遺伝か?そんなことはどうでもいいんだ。それが不器用で周りから人が離れていくのは自己責任ではあるが、周りに被害を与える結果になるのだけは御免だ。ああなるのは、ちょっと怖い。

 

年末年始、親族や家族と関わる機会も多いことだろう。これは別に作業ではないのだ。自分を見つめ直す機会でもある。身内はアイデンティティを構成する一つの要素でもある。

 

そしてそのおばさんから今年もお年玉を貰った。社会人もいるであろうこの年齢でお年玉を貰うのは恥ずかしい以外の何物でもないが貰えるものは貰っておこうの精神のため、貰った。それを貰ったからあまり強くおばさんに言えないのでこうやってブログにボロクソに書くのである。自分の場合、感謝と人格は原則比例しない。これをわかってほしい。今年の抱負は相互理解だから。尚更ね。