潰れた檸檬

自傷しなくても傷だらけ

オンとオフ

8月か9月のある日、親の計らいである同期と3年ぶりに会うことになった。当時はそこそこ仲良かった。だから久しぶりに会っても昨日会ったかのように会話が途切れることがない。

 

3年の間の経験をお互い話し合った。その同期は内部進学だったから、2年間を浪人に費やした自分よりはまともな経験をしている。自分はその頃ちょうどスキャンダルや日雇いで疲れていた時期なのもあってやつれた顔つきをしていた。事の経緯を同期に話すと彼はこう語った。

 

「お前疲れているみたいだから旅行でも行ったらどう?」

 

日頃他人からのアドバイスは十分に熟考してから受け入れるかどうか決めるがその熟考がかえって疲れを増幅させる原因となるというのをわかっていたため、その次の日に八王子の岩盤浴付きの温泉施設に日帰りで行くことにした。

 

結果は...疲れは取れたものの自分には「ゆっくりする」という概念がないことがわかった。その日は一日中オフでしかも一人だというのに何かと時計を気にしてはソワソワしてなかなか温泉に浸かるのが難しかった。一方岩盤浴は寝るだけなのでそれは満足した。

 

「ゆっくりする」という概念がないのである。寝るか起きるかで日々を過ごしているのである。0か100で動いているのだ。

 

もうそろそろ11月になるというのになぜ8,9にあったことの記事を?と疑問に思う読者もいるかもしれない。昨日大学の先輩と食事した時に「家帰ったら何をするか?」という話題になった時にこれを書こうと思ったのだ。先輩は「大学だけで疲れて何も出来ない。とりあえずゆっくりする。」と答えたのに対し自分は「課題がある時以外はTwitterしかしない。」と答えた。「冒女くんはくつろぐとかしないの?」って言われた時、確かに自分はくつろぐとかできないし、こないだの温泉でもくつろげなかったなって... 

 

どこの場所でもよく自分は「落ち着きがない」と言われる。コンプレックスの一種でもある。こう書く時点で自覚出来てはいるのだがなかなか治せない。余裕を持ちたいのだがどうしてもそうはならない。意味の無い疲れに襲われて家ではTwitterしかできない。こんな生活なんてとっとと終わらせたい一方である。もしくは、一生遊べるだけのお金を貰いながら今みたいな生活を送れればいい。そんなの無理だ。やっぱりこんなクソみたいな生活を終わらせる方法を考えた方がはるかに聡明である。そのためには大学院で"あること"を勉強しなければならないし、それを取り巻く将来のためにまた焦るような生活を送るという矛盾にぶつかるのだけど。