潰れた檸檬

自傷しなくても傷だらけ

Hey

 水泳部の後輩にKがいた。

 

 Kは周囲から見てもわかる自閉症だった。普通の会話が出来ないし、電車の中でも大声を出す。そんな彼は私が中学2年の時、新入生として入部してきた。

 

 勿論、まだダイバーシティが浸透していない2010年前後にそのような子供はいじめの対象になった。というか、そもそもうちの部活に入ってくること自体がはっきり言って無謀だった。うちの部活は、挨拶は絶対で上下関係にうるさくてスポーツマンシップに乗っ取る紳士(笑)であることを求められる。結果よりも努力を重視する部活だった。所謂リスペクト文化だ。

 

 彼がそこに馴染めないのも無理はなかった。同期や先輩視点で、彼が明らかに浮いた存在であることは否めなかった。中でも1番上のある先輩は彼のことを「頭のネジが1つ抜けてる」と形容した。彼に対する扱いが水泳部の文化そのもののように思えた。飯を残さない・部屋を綺麗に使う・時間厳守を大切にする水泳部の合宿は彼の体質に合わないということで無条件に参加させなかった、というのが代表例である。この時私は怖かった。何故なら表立って出ない無意識の中の差別意識が露呈された瞬間であり、日頃から我々がそういう目線で見られる可能性があることを示唆していたからだ。人を人として見ないあの感覚、偏差値が低い学校がやると余計に恐ろしいのだ。結局彼は水泳が好きで入ったのに、いじめと教員からの理不尽な扱いにより学年が上がるにつれて自然とフェードアウトしてしまった。

 

 彼の他にもその学年には自然とフェードアウトした部員がいる。その学年は恐ろしいヒエラルキーが存在していた。最後まで残ったのは、成績上位者とウェイの要素を兼ね揃えた者だけである。それだけでも8人前後はいた。成績が悪いかウェイじゃない奴は自然と淘汰された。またその学年だけ水泳の記録が良かったので、私達は先輩ではあったが彼らに対してはある種の恐怖心を抱くようになった。そして、成績下位者や非ウェイがいじめられてはやめていくという構図であったのである。所謂雰囲気がサッカー部やバスケ部に近い。実際、その学年においては中心的なグループとして圧倒的な存在感を放っていた。(一方我々の代はほぼ陰キャしかいなかった)

 

 記録は遅かったが水泳が好きで入部したのに、たまたま学年との配合が上手くいかなかったせいで辞めざるを得なかったKではあったが、成績は良かった(らしい)。中でも学年の上位であったとか。つまり、自閉症というハンディキャップはあったが場所によっては彼の存在を受容してくれるところだってあったはずだった。

 

 となると... 当然その学校のことを嫌いになっても仕方がない。むしろ嫌いにならないことの方がおかしい。実際私は昔から嫌いだった。だから他大への進学も決めた。そういう偏見を持ちながら彼のInstagramを見つけたので覗いてみた。なんと、系列の大学に内部進学していた。彼はInstagramをちゃんと活用していた。文章は拙いけど、別に使いこなせていない訳では無い感じだった。あろうことか、系列の大学の学園祭の様子をアップロードしていた。

 

 彼は、散々な目に遭いながらもあの学校が好きだったんだなと思い知った瞬間だった。もしかしたら、成績不良で内部進学したのかもしれないが、それでも彼の能力を踏まえると十分他大へ進学できるだけのものはあったはずだ。なのにそれをしないで内部進学した。よっぽど好きなのだろうか。そして、友人とのツーショットも載せていた。楽しんでるじゃん。リア充かよ。俺なんて友人とのツーショットをInstagramに載せることの方が難易度が高いぞ!

 

 彼も一応対人には困っていない... とすると本当に水泳部との配合が悪かった。Twitterを使いこなし、日々ダイバーシティがなされていないこんな世の中のヘイトだらけのタイムラインを見たとしたら、果たして彼の現在において過去はどのように映るのだろう。それとも、そもそも映すことができるのだろうか。気になるところではあるが残念ながら彼に連絡できるだけのモノを私は持っていなかった。