潰れた檸檬

自傷しなくても傷だらけ

natsu_ga_owaru

 夏が来て大分立った。というより、今この日程は盆なのでは?

 

 この夏は、自分がまさかの無職であるということよりも、あるタイミングを心配して仕方がなかった。

 

 白血病で亡くなった同期の墓参りである。

 

 この同期は、『忘れらんねえよ』で触れたMのことである。

 

大抵の部員は、Mとの思い出があるので寄せ書きの際にスムーズに書けた。しかし、自分はMとは確執が多かったので上手く書けなかった。何とか絞り出したのが「頑張ってね!復帰したら平泳ぎ教えてね!」ぐらいしかなかった。当時は何とも思わなかったが、これを見た別の同期が「お前これはないだろ...」と言い放った。

 

 この同期の墓参りは、盆の土日に行われる。これはある意味同窓会の役割も果たしており、そこで思い出話に花を咲かせるのである。

 

 今年はこの墓参りに参加する、はずだった。

 

 勿論、この一言でハブられたのは言うまでもない。

 

【補足】

 実際Mに対して思い入れがなかった。Mが亡くなった2011年以降水泳部全体で毎年墓参りしているのだが、「墓参りダルくね?もう終わったことなのに毎年やんなきゃいけないの?」と言ったせいで部活内での支持が得られなくなった。この発言を受けとめた相手が「毎年集まることに意味がある。」と反論して以降、「もう水泳部のグループLINEから追い出していいよ」と言った。いや、言う前に自分から抜けたかもしれない。とにかくこのデリカシーのなさ、そして自覚できてるのに治さないし治せないところが自分をよく表現しているのだろう。

 

(上記のブログより引用)

 

 

しかし、その状況を変える出来事があった。それは、昨年の11月である。自分から誘って、禁断の掟「同級生と会う」を破り、ある同期に会いに行ったのだ。

 

 当時、過酷なパワハラ現場にいた自分は、ジャンルを問わない"助け"を求めていた。だがTwitterだと「被害者アピール」「甘え」だと言われるし、家族や同期なんてただ時間を食い潰すだけ。そもそも別の同期が配属された時は上司の機嫌を損ねて追い出された(今思うとラッキーガールとしか言いようがないのだが)から会社の上層部に伝えても意味が無い。ガールズバーやスナックは翌朝財布を見た時の絶望感がエグい。となると、残された手段として「かつての同期と会う」を採ったのである。

 

 その同期をファミレスに呼んで話した。なるべく自分語りにならないように。再会までの6年間を話した覚えがある。昼間だったのでそれで解散した。その後、なんともやり切れない感情になって、赤羽の河川敷で缶チューハイを空けては飲みまくった。なんで自分はいつもこんな目に遭わなければならないのだろう。これ以上自分が酷い目に遭うのは耐えられない。やっぱり僕が中学の時に感じた、「この世の人間なんてバカかクズかゴミのどれかだ」というのは正論なんじゃないかと。でもそれにしてはゴミだらけだ。3Rもできないような。そんな僕が何故大企業をクビになったバカの言うことでメンタルがやられるのか、自分で自分が分からなくなっていた。

 

 話は戻すけど、その同期は『憂さ晴らしで呼ばれた』と感じたのだろう。

 

 その時の話で「あの時墓参りを断ったけど、今は反省している。次は呼んで欲しい。」と頼んだ。帰りにその同期に「今日はありがとう!墓参りの時は誘って〜」みたいなLINEを送ったが、未読無視された。そして今もそれは続いている。

 

 自分は同期を利用してしまったのだろうか。それでイラつきが再熱したのだろうか。結局彼から返信が来ることなく、墓参りの季節を迎えた。

 

 またひとつ夏が終わる 音もたてずに

 

 ここまで来ると、自分からLINEを送るのも照れくさかった。

 

 そして、熟考するとやっぱり墓参りなんて意味が無いのでは?と感じてしまう。またひとつ、これが自分の本性で、末永く付き合わせてもらう一面なのだと感じるのであった。