潰れた檸檬

自傷しなくても傷だらけ

終わりの始まり

 就職活動は自己分析の連続だ。それに、「今までで1番嬉しかったエピソードを教えてください」など、感情に関連した質問もよくされる。そこで、今の自分の性格を色付けた出来事を軽く振り返ることにした。

 

※書き終わって見たら軽くどころかクソ長かったので、暇な時に見てください。

 

※ちなみに過去のブログの類似タイトルは「終わりと始まり」です。

 

http://dangosakashita.hatenablog.com/entry/2018/04/10/093306

 

 恐らく、今の自分の性格がめちゃくちゃになった原因を1つあげるとすれば、「オリエンテーション合宿事件(以下、オリ合宿事件とする)」である。勿論この出来事だけが要因ではなく、複合的なものが作用した結果なのだが。

 

 私立中学入学後、すぐさま全員参加の学校主体のオリエンテーション合宿に連れていかれた。校則などを学ばせる目的である。

 

 1.中学入学まで

 この中学に入学というのも、中々の理由があった。小学生時代から容姿や言動や行動が変わっていて、いじめに近いものを受けていた。同期は程々だったが、上級生からが酷かった。何故か自分をターゲットにするのだ。しかし親や教員は、その事案に対して連帯責任を取らせるため、ストレスが溜まる一方だった。終いにはストレスが溜まりすぎて、多少学業にも支障が出た。

 

 この原因は、出身小学校が公立だからだと見た。つまり、環境の良い私立に行けば、そういった事案からは逃れられると考えた。成績は良かったから、私立中に行ったら自分を認めてくれるだろうと。その上体育会系運動部に入部さえすれば、後はカーストの維持だけだ。しかも男子校で... (これは席替えで隣になった女に泣かれたことも理由にある)

 

 こうして中学受験に取り組むのだが、不純な動機だったがだめにモチベーションが維持できず、途中でスランプに陥ってしまった。そしてそのまま、「滑り止め」の中学に入学したのだ。実はここで広尾学園にも受かっていたが、共学を理由に蹴ったことを10年以上経ってもかなり後悔している。

 

2.中学入学以後〜オリ合宿事件

 オリエンテーション合宿は2泊3日だった。2日目の夜に出し物をするのだが、そこでジャンケンに負けて女性役のキャラをやらされることになった。だが、滑り止めで入った学校の同期にイジられるのだけは嫌だった。プライドが許さずワガママを言って役を交代してもらった。一応終わったものの、その夜に同期とその件で喧嘩したせいで教員から目をつけられることになった。これがオリ合宿事件である。

 

 完全に自己責任である。しかし、公立小学校での思い出を2度と繰り返したくない、次失敗したら人生が終わってしまうというプレッシャーがあったため、多分当時の自分に説得した所で言うことを聞かないだろう(独自の論理を繋げて、かつ論破されるまでは正当性を主張する癖は今も変わらない)。つまり、当時は「俺は悪くない」という意見だったのである。こんなんで友人が出来るわけがない。オリ合宿終わった後の学生生活も同様だった。

 

3.オリ合宿後

 教員からは問題児として扱われ、同期からは上記の件と容姿と言動をからかわれていじめにあった。しかし、2でも述べたが基本的に「俺は悪くない」スタンスだったため、例えば「偏差値が低い同期は、言語が通じないから殴って教えるしかない」ですぐに殴ったし、「彼らの親の教育に問題がある」で教員に直談判したりなどをした。今思えば、「何故同じ学校にいるのに同期を見下すのか」という疑問があって当然である。だがまだその頃はそこまでのメタ思考はなかった。やがていじめはなくなった。その理由は、あまりにも自分の意見を突き通すため、面白みが無くなったからだろう。たまに喧嘩になり、教員に呼び出されてもスタンスは貫いたため教員からも呆れられた。親にも叱られても「こっちが同期に教えてやってる」と反論するもんだから、結局どこへ行っても孤立する羽目になった。

 

 

4.事件以後〜大学入学前

 中1の頃からほとんど勉強していない。やっても無駄だ、頑張っても誰も自分を認めてくれやしないという価値観が刷り込まれた。また、他の同期は絵画やラグビーなどの特技があったため、勉強以外何もない自分があまりにも嫌だった。なんで自分はこんなにも苦しい思いをしているのに、周りの同期は何も考えずにヘラヘラしているのかと。自分がこうなったのは社会に問題があると(後の大学の専攻に繋がる)。最悪塾に課金すればまあ点が取れるからそれでいい。早くこんな所から抜け出して、難関大学に行きSEXしてえという具合である。しかし塾課金作戦が通用しなくなった高校時代から完全に落ちこぼれて、仮進級と赤点を繰り返した。その上上記で生まれた「自分に有利な状況じゃない限りやらない」癖が治らず、その上そもそもの勉強のやり方もわからなかった。成績不振で親に呼び出されても勉強する気にはなれなかった。こんな状態でも「滑り止めの学校の言うことなんて聞いてられっか」ってのと、「頭は良いからなんとかなる」というクソみたいな自意識があったのだ。余計にめんどくさい人間である。結局大学は全落ちしたし、クラスが一致団結している時全くやる気が出なかったがために、振り返ったら同期のモチベーションを無意識に下げたこともあった。

 

 今思えば自分は結局ワガママで、単に傷ついた心のケアを他者に求めていたのだ。例えば苦い経験をして、その責任を他者や社会に求めたとしよう。「じゃあどうしてほしいの?」となると、行き着く先はケアなのだ。しかし、エゴまみれの人間に誰がケアをするのだろうか?日頃から周りを楽しませたり、勇気づけたりしている人間こそケアの対象になる。面白いこと以外に興味が持てないのだ。だから同期にとって良いことをしなかったため、結局学校や家庭では誰も自分をケアしなかった。対策として高校時代にTwitterを始めて、外部にケア要員を求めた。実際Twitterではケア要員が奇跡的に見つかった。たまたま似たような出来事を経た女フォロワーがいて、唯一の理解者だと思い告白するが振られ、そこでまた自暴自棄になって... 何回かアカウントを転生して冒険処女がある。

 

5.事件と現在の関連性

 現在は他者にケアを求めていない。何故なら、Twitterの人間関係を通じて自分がケアする側に回ったことがあり、かなり骨が折れたからである。ケアをしても、ケアがなかったも同然かのような対応をされることがある。全体的に疲れたのだ。もう他者に何かを求めるのはやめようと思った。結局自分で何とかするしかないし、仮にケアが欲しかったとしても、構造が複雑すぎて他者は自分をケアしようがないだろう。

 

 ケアの話に脱線したが、本題に戻ろう。中学入学以後は水泳部に入部したため、過酷なトレーニングの成果でデブのチー牛からなんとか普通のチー牛になった。また大学に入学後はコンタクトレンズにしたり、多少外見に気を使うようになったため、容姿に関しては過去の自分よりはかなり良くなった方である。

 

 しかし、相変わらず言動や挙動はおかしいらしい。どこへ行ってもイジられる。関係性を築けた人がそれをやるのはもう仕方ないし、最悪面白くしてねと思い諦めたが、問題なのは初めての現場でも同様の扱いを受ける。それが腑に落ちなかった。大学では、2浪で歳上ということもあり、そういう経験は少ない(逆に大学でそういうノリをやる方が別の意味で怖い)。だから自分の異常性に気がつかなかったのだ。初対面でイジられるとかもうダメじゃん。敬語と挨拶だけでは異常性をごまかせないのだ。そしてこういうのの積み重ねのせいでリアルのほとんどの人間に対して、「疲れた」という感想を抱く。これが最も良く現れた自分の性格なのかもしれない。

 

***

 

 性格なんて結局もうどうにもならないのだ。ただ改善傾向にはある。前までは人間嫌いだったが、今はつまんないもの嫌いなのである。だから、人間の面白い部分を引き出すことに注力すれば、彼らを嫌いになることはない(たまに「何目線なの?」とは言われるが、これを言ってきた人間とは距離を置いている)。

 

 こうやって書いてみると、如何にして自分の性格が形成されたかってのがすごく分かりやすい。

 

 あーなんかスッキリしたな。定期的にこれを見ては思い出して、 今日は中本食べよう。終わり。