潰れた檸檬

自傷しなくても傷だらけ

ノフレ

 最近ようやく汚い部屋を片付け始めた。前々からやろうと思っていたのだが、なんせ他者を己の生活空間に介入させる習性がないため片付けたところで...といういつもの思考の悪い癖が出るのである。

 

 そして、テストや模試の結果、ロフトにはおもちゃがたくさん出てきた。これらが出てきたことによる私自身への影響力を述べていく。

 

①テストや模試の結果

 相変わらず酷かった。中学はまだ出来ていたが高校は入学直後以降はダダ下がりであった。そして、これが数少ない"自分と向き合う"事の経験になった。どうせ模試や成績の結果を見たところで進学先を変える気はなかったためあまり結果を見なかった。それに、そもそも勉強に対してやる気がなかったから良いわけがないのだ。現実逃避である。今思えばよくこの成績で国公立や早慶を受けたのだけど逆にここら辺より志望を下げたら今の大学に入れなかった可能性が高い。

 一番酷かったのは、大学入試の際に提出する調査書だった。余っていたのを開けてみたらC評価だった。簡単に言えば、学年180人前後いる中で下から20番以内に入っていたのである。でもこれでも中高入学時はトップの方にいたので、いかにやる気を失くしたかという結論になる。確か教員や予備校スタッフに志望校を変えろとか、同期にめちゃくちゃ笑われた経験とかあるけど参考にしただけで影響は受けなかった。事実彼らに話してもこちらの事情なんて理解できるほどのバックグラウンドが無さそうに見えたのだから。仮にももう少し私のことを理解できる友達がいれば多少変わったかもしれない。

 

②おもちゃ

 沢山出てきた。しかも、遊ぶ時他者からの介入がないとできない物(例:ボードゲーム)が多い。ぬいぐるみやプラモデルなど「一人で完結する物」は少ない。友達が少なかった癖に、何故友達がいるおもちゃばっかり欲してしまうのかが私にもわからなかった。

 ボードゲームがたくさん出てきたものの、そこまで思い出はなかった。遊ぶ人がいなかったのである。冒頭にも述べた通り他者を己の生活空間に入れる習性は、気がつけばなくなっていたので必然的にそれらで遊ぶ頻度も少なかった。買ってきては一番最初に親が付き合い、そのまま放置といった所存である。また妹がいるが彼女とも遊ぶことは無かった。実力差と理解度が均等ではないため飽きてしまうのである。そして、こういうのが沢山出てくる資本があるにも関わらず、人間関係は比較的に恵まれてないというのが更に「金はあるけど愛はない」家庭を象徴づけるものとなった。

 

 ***

 

 ここまでで分かったことは、私が病的なまでに他者に視線を送ることが出来ないことである。客観的に見れば、無意識に私自身の殻に閉じこもっていた。でも、正直環境がそうさせたのかそれとも天性によるものなのかが分からない。ゲームソフトも結局やり続けられるのは一人でも遊べるものだけで、他者の介入が必要とするゲームは自然とやらなくなった。そもそもこういうのは買わなきゃいいし、何なら1回やれば十分なのだが父親が買ってくるのである。

 ちなみに、Twitterにも書いたが父親は積ん読(つんどく)派の人間だった。今回のロフト捜索の際にも推定未読の本が大量に出てきた。父親も父親でそれなりのエピソードがある。

 父親は、教員と専業主婦の家庭の元に生まれた。昔の教員は、今と比較すると社会的地位も賃金も高かったそうである。だから裕福な暮らしを... と思いきや、定年を早期に迎えた父親の祖父母のために教員だった父親の父親、つまり私の祖父は父親の祖父母に仕送りをしていたのだった。それで彼は"欲しい物が買ってもらえない"という状況に陥った。だから、高給職に就いた今はその金で昔できなかったことを取り戻そうとしているのである。そしてもう一つ、父親の父親の家系が祖母に良くない扱いをしたせいで、父親の家庭は祖母を中心に回っていたようだった。私が5歳ぐらいの時にその祖母と会った記憶があるが、よく怒っていて結局何言ってるのか分からない人だった。そういう人間なのだ。

 長くなったが、父親の家庭をまとめると、金が愛の中心だったということと自我を無くして生きざるを得なかったということである。それらがバックグラウンドにあったから、金=愛という考え方の持ち主でもあった。それが原因で衝突もあったが、立場を理解すると多少仕方がないと思えるまでになった。

 彼も、友達が少ない方だったのだろうか。